省電力

「どうして省電力と複雑系が?」って思いますよね。タグのつけ間違いではありません。最後まで読んで下さい。

原子力発電所の事故で、夏場の電力不足が気になるところです。そんな折、東工大東京電力から節電に協力して欲しいとの依頼がきました。東工大もかなりの大口利用者ですから、効果的な節電ができればいいなと思います。

限りある資源を後世の人々に残してあげるためには、温暖化の有無の議論や、原子力発電所の事故や、東電からの依頼や、学長からの命令などなどとは無関係に、日頃からエネルギー消費を抑制する努力をするのが、子孫たちへの責任であり、義務だと思います。

とはいえ、ともすると「自分ひとりが小さな努力をしても大した貢献にならない」と思いがちです。こういう否定的なことは口にしてはいけないのではないかと思うのですが、それはそれだけこの主張に理解が得やすいことを意味していると思います。

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そんなとき、手にした National Geographic 誌の7月号に面白い特集記事「群れのセオリー」が掲載されていました。この特集の主な内容は、動物の集団行動が示す賢さです。魚、アリ、ハチ、トリの群の行動の複雑さとその合理性、そしてその合理性をサポートしているのが決して固体の賢さに依るものではないという点が面白いです。

アリを例にすると、個々のアリは極めて単純な規則に応じて行動しているのですが、それによって群全体として条件の悪い日(天敵、気象)には無理して遠くの餌場には行かないという大域的かつ知的な集団行動を見せます。

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動物の集団行動が解明されるにつれ、それを物流やロボット、さらに軍隊の指揮に応用が試みられているようです。

このあたりの考え方をまとめると、たとえ個々の能力は低くても、集団全体としては合理的な判断を取るということになります。どこかで聞いたことないですか?''「みんなの意見」は案外正しい''などで有名になった「集合知」です。

ある集団が集合知を発揮するには、いくつかの条件が成立することが必要とされます。そのひとつが、集団を形成する個人が集団のゴールに向けて責任のある行動を起すことです。

ずいぶん、回り道をしましたが、「群れのセオリー」の記事でぼくの目を引いたのが、世界の難問に対して知的に行動したければ、個人ができる範囲で責任を果すことだというような箇所でした。最初に戻るのですが「自分ひとりでやっても」と考える人が多い集団は、真に知的な集団になりえないのかもしれません。

Web 2.0 のそばで研究する身としては、小さな努力を始めたいと思います。また、他人の小さな努力を見つけたら、それを別の人に伝えるのも大切ですね。

節電に努力しましょう。投票にも行きましょう。