自由と制約

今日のGarr Reynoldsさんは、デザインにおいてさまざまな制限や制約が与えられた場合について論じています。「自由 = より多くの選択肢」を望まない人はいないでしょう。しかし、日常生活では、つまらない諸々のことについて過剰な選択肢が提示され、その判断に迷う現実があります。暴力的に過剰な選択肢に苦しむことへの反省から、Steve Hagen は

"True freedom doesn't lie in the maximization of choice, but, ironically, is most easily found in a life where there is little choice."
(真の意味での自由は、むやみに多くの選択肢にはなく、皮肉にも、わずかばかりの選択肢が許されるような生活に見ることができる)

と言っているそうです。*1それは確かにそうですね。スーパーで米を買うときに、全国各地のブランド米を前にして逡巡するのは面倒ですよね。魚沼産を買ったところで、本当に魚沼産かは怪しいし、魚沼産でも農薬を山ほど使った米だとしたら、関東の無農薬の方がいいかもしれないと迷ったり、10kg で安く買った方がいいか、でも、それでは最後の方の米は参加してまずくなるかもと悩んだり。昔は一級米、二級米、…くらいしかなくて、簡単だった。

デザインを決める場合にも、レイアウト、フォント、色、背景、アニメーション、…と山ほどのオプションを与えられてどうするんでしょ?プロのデザイナーはどう考えているのかといえば、制限とか制約といったものを必ずしも嫌っているわけでもないようです。"The laws of simplicity"の著者の John Maeda によれば、

In the field of design there is the belief that with more constraints, better solutions are revealed.
(デザインの分野ではより制約されている場合の方が、より良い作品が得られると信じられている)

のだそうです。

デザイナーにとっての制約には、デザイン上の制約のほかにも、与えられた時間、費用、設置場所などが加わってきます。そういった制約を積極的に受けいれることで、作品の質が向上するということでしょうか。よくデザイナーが依頼を受ける際にクライアントの性格や背景を観察し、「デザインには***を取り込みましょうか」なんて提案をしそうですよね。たとえば、ぼくが大学のウェブマスターをやっていたときに、担当のデザイナーからスクールカラーを教えて下さいと頼まれたことがあります。スクールカラーを基調にデザインを固めるというのも、制約を増やすことでもありますし、この例の場合、デザイナーは自らに制約を課す提案をしているわけです。

デザイン面だけでなく、時間やプレゼンテーションの形式という制約も重大でしょう。多くのプレゼンテーションの場は発表の時間が制限されています。一定の時間で咀嚼可能な事項の量は自ずから限度があります。それを越えた分量を提供しても、話す端から忘れられてしまうことでしょう。「デモは面白かったけれど、あの研究の意義はなんだっけ?」なんて思わせたら意味がありません。時間が制限されるということは、伝える内容の濃さも制限されるということですから、制限にあわせて盛り込む話題の量を調整しなくてはなりません。でも、これが難しいんですよね。Hillman Curtisによれば:

You may include things you believe to be crucial in a design, but those elements are often only crucial to you.
(デザインに盛り込むものはきわめて重要なものだけに留めるべきなんだけど、それでも、人が見るとそれほど重大でもないんだよね)

と self-editing (自省?)の重要さと困難さを指摘しています。

スライドを作ったことのない人が PowerPoint を使い始めると、まず派手なPowerPointのスタイルを選び、ページをたくさん作って、そこに文章をガンガン書きこみます。そして、ページから溢れるものだから、フォントを小さくしたり、インデントを崩したり、箇条書きではうまく対応できないものだから、浮遊テキストを加えまくって、自由を謳歌した結果、ひどく無様なスライドができたりします。それぞれのページに盛り込む内容を取捨選択する作業は退屈で困難だから、つい、より派手で楽しい方向に興味が向いてしまうのでしょうね。ベテランの先生が、多忙なために明らかにデザインについての工夫をせずに作った PowerPoint まかせのスライドの出来栄えが案外よいのはそういうことなんでしょう。ベテランの先生の方が self-editing について長年の訓練を積んでいることが前提なんですが。

さて、タイトルに掲げた*2 SmartColor は、うちの研究室で開発している、再配色システムの名称です。このシステムは、与えられたデザインの色を塗り替えて、色盲の人でも通常の人が視認する情報を得られるようにするシステムです。デザインに着色するのに、パレットから選択した色を用いるのが普通です。SmartColor システムでは、着色したい領域を指定し、そこに塗る色に対する制約を指定します。たとえば、隣接した領域に比べて「際だって目立つ色」とか、「あの領域と同じ色」とか、「ほぼ同程度の誘目性を持つ3色」とかいうように。このような色の制約を与えるとSmartColorはその制約を見たす色の組み合わせを自動的に選択して、デザインに着色します。

このシステムについて紹介するときにいただく典型的な質問は「自分の思う通りの色を選択したい場合はどうすればいいのですか?」というものです。「SmartColor は、たったひとつの最適なデザインではなく、人間が与えた制約を満たすデザインをいくつか提示するので、そのなかからお気に入りのものを選択すればいいんです」と答えています。でも質問したいとは、大概、不満そうな表情を受かべます。自由を制約するという発想を受けいれてもらうのはなかなか難しいです。

最適なデザインはひとつしかないはずなのですが、人間が与える制約も必ずしも厳密なものではありませんから、システムが計算する最適なものが人間が考える最適なものでない場合も多いと思い、このような「限られた選択肢」を提供するのがよいかと思ってシステムを設計してきました。

「塗り絵をするのに5種類の色を使うとして、どの色を選ぶか?」おまけに、色の選択をしたあとで「どうしてこの色を選んだんですか?この色に近いあの色を選ばなかった理由は?」などと突っ込まれても困りますよね。だから、たとえ潜在的に224=1600万色のなかから、224*5種類の色の組み合わせを選ぶことができると言われても迷惑なだけです。計算機システムを設計する立場からすると、そろそろ過剰な選択肢を提供するのはやめて、より選ったいくつかの選択肢を提供する方向で努力すべきでしょう。

なんか、我田引水、かつ、まとまりのない話でごめんなさい。

*1:生協の食事のメニューに対する不満は、提供される食事の種類の多さではなく、自分の味の好みというフィルターをかぶせると、わずかな選択肢すら残らないということなんだろうか。つまり、選択肢以前にまずいということ。

*2:タイトルに掲げていたのだけど、タイトルを修正して削ってしまった…